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≪随筆≫ 続 ロンドン紀行:世界遺産 キューガーデン

 妻に問われます。「あなたは何故、西洋の建物や絵画、クラシック音楽に強い関心を持ち、日本のそれらには低いの?」と。何故でしょうか? 遺伝子変異?? 建築学科をめざしていた高校生時代、結果的に医学部に転進したが、前者へのあこがれは今でも尽きない小生です。

 西欧建築は、当然だが、単体としての建物ではなく、街全体の景観を重視し、ある種の社会規範の中にあって、自由が認められている。建物の高さ、宣伝看板のあり方や公園の意義づけなどもあろう。
 還暦記念に夫婦で初めてのロンドン行きを決めてから、小生の関心が高いクラシック音楽の“生体験”や美術館巡りは封印し、妻の関心が高い公園に係る情報を検索した。

Palm House前にて(上)、着陸機が次々と(中左)、大きなPalmの葉(中右)、公園管理の車(下)

 ロンドン中心部の公園は、過去2回の訪問で位置、規模をオツムに入力済。それらは、第1回鳥取市勤労青年海外研修団の一員として、1990年10月29日から現地8泊、自治体病院協議会西欧医療施設視察団の一員として、1997年11月17日から11泊で、ロンドンは計6泊。が、実質計4日強で前者では単独行動が許可されなかったので、後者での限られた自由研修だった。
 1997年当時はネットでのチケット類の事前予約・購入等は出来ず、日本の“ぴあ”に相当する“Time Out”を買っての行動開始でした。演奏会スケジュールを見て、ホールに出かけ、当日券を購入し、ロイヤル・フェスティバル・ホールでのピアノ・リサイタル、シティにあるバービカン・ホールでロンドン交響楽団を体験し、絵画はナショナル・ギャラリーに入り込み、カフェで休憩し・・・。公式視察がない日曜日限りの“研修三昧”でした。いつかきっとまたの願いを維持しつつ・・・。
 キューガーデン(Royal Botanic Gardens, Kew)を検索すると、「ロンドン南西部のキューにある王立植物園で、1759年に宮殿併設の庭園として始まり、今では世界で最も有名な植物園として膨大な資料を有している。2003年にユネスコ世界遺産に登録された」と分かります。
 2009年10月29日(火)還暦記念・夫婦初体験ロンドンの3日目は、キューガーデン#1を訪れることにした。地下鉄路線、ダイヤ・時間やキューガーデン駅から同公園入り口ゲートまでの詳細な地図、開園時刻など、ネットで詳細な情報を得て臨んだ。

広大さが実感できる光景(左上)、人が少ないゆったりした環境(右上)、

メモリアル・ベンチが所々に(左下)、日本ではあり得ない近接(右下)

 ホテル(Royal National)を出て、至近のラッセル・スクェア駅からピカデリー線をヒースロー空港方面に乗り、地上線に出てから、リッチモンド行きに乗り換えた。終着駅、リッチモンドの一つ手前がキューガーデンです。
 晴れの穏やかな朝、キューガーデン駅至近のカフェを経由し、道路の両側に街路樹と広い歩道が整備され、各戸が花で飾られた静かな住宅街を、その環境に親しむごとく、ゆっくりと歩き、ガーデンの東側玄関といえるにヴィクトリア・ゲートに到着。入場券窓口で、小生の頭を見た彼女から入園券が£2安くなる「Over 60?」と尋ねられたが、日本の数え歳での還暦が通じるはずはなく、素直に£13.5を2名分支払って入園した。
 園内に入ると、1844~1848年に建てられた歴史遺産と言える大きな温室、キューガーデンを代表するPalm Houseが視界に入る。螺旋階段を登ると熱帯の巨大な植物を眼前に見ることが出来る構造になっているPalm Houseの内部を研修した後、裏手に出て、秋薔薇が咲くガーデンに親しんだ。
 その先(西方向)、大きな樹木に挟まれた真っ直ぐに伸びる800m以上のメイン路(Syon Vistsa)があり、予想以上の広大な環境に圧倒された。妻は、個性的な各樹木の各々に掲げられたプレートを確認しつつ、ジグザグに歩きます。小生はボンヤリと立ち止まりつつ、静寂な緑の環境に浸りました。雉が餌をついばむ情景も嬉しく、記念撮影。火曜日の午前中とあってか、入園者は希少で、若い白人女性が近づいてくるのも撮った。

 園内中心部にへちま型の大きな池がある。水際に多くの水鳥が餌をついばんでいたので近寄った。が、我々を無視するかのごとく、光景に変化がない。日本では体験し得ない雁との超接近も・・・。
 大きな樫の木の下にベンチが置かれていた。このゾーンのみならず、要所毎にベンチが配置されていたが、背もたれには故人のプレートが嵌め込まれていた。生前、親しんだ場所に、ベンチを遺す文化にあこがれた。これはキューガーデン内に留まらず、リッチモンド他、ロンドン中心部の公園でも見出せた。
 死に向かう医療の選択、死した際の式のあり方、そして、死後の居場所・在り方について、時に夫婦で話題にする年代に至っている。ベンチ・植樹も選択肢に入れたいとも思った・・・。
 西方向にSyon Vistaを歩き、テムズ川の河畔に出た。ロンドン中心部と異なり、河畔にはコンクリート等の人工物が無い。ヒースロー空港に降りる飛行機と野鳥の“動”以外はほぼ“静”の世界で、かつ、空の青さと緑からなる広大な環境が随分と心地良い。

西に伸びるSyon Vista(左上)、テムズ川の河畔にて(上)、モロッコ原産の大木(左下)、 Temperate Houseも大温室(下)、Treetop Walkwayでは小学生の野外授業が(右上・下)

 テムズ川の河畔から反時計回りに歩いた。3/4縮小コピーの東本願寺の勅使門と日本庭園を経由し、園内のカフェで気楽にランチを食した後、Temperate Houseへ。ここも大きな大温室で、圧倒された。さらに、寄贈により設けられたTreetop Walkwayを探し、登った。Temperate Houseを見下ろす高さであり、園内を“高みの見物”し、“栗科”の大きな樹木と近接した。日本ではお目にかかれない大樹であり、いがも巨大であり、“栗科”と記したが、本態は?!われわれが降りる頃、小学生高学年と思える子ども達が登ってきた。先生と思える女性が要所で説明している様子から野外授業と分かる。
 1994年、夫婦で初めてザルツブルクを訪れた際には、皿回しなどにチャレンジしている子ども達に出会った。何とか聞き出せたのは、市内に巡回サーカスが来ており、授業として、皿回し等を試しているとのことだった。1997年、自治体病院協議会でミュンヘンやパリを訪れた自由時間にピナコテークやピカソ美術館に入ったが、一流の美術品を前にした授業に出会った。各々うらやましく感じたことを思い出す。
 キューガーデンには、約5時間半滞在したが、園の地図を見ると、約3分の1程度を歩いたに過ぎないと分かった。夜に“女王陛下の劇場”Her Majesty's Theatreで「The Phantom of the Opera」を観劇する計画だったので、いつかまたきっと再訪をとの思いを抱き、地下鉄に乗り、ホテルに戻った。地下鉄といっても、ロンドン中心部までは地上線を走るので、景観を楽しみつつで、嬉しい限りの行程でした。
 翻って、国内路線は、昔はJTBの大版時刻表を、今はYahoo! 路線を活用している小生です。ロンドンの地下鉄は、Transport for London#2があり、日本語ページもあります。地上鉄道はTransport direct#3を活用しました。駅名等は英語で記入しますが、完全でなくても、該当する類似駅が表示され、ここから選択して決定すれば良いので気楽に調べることが出来ます。

図 Transport for London#2 を用いた検索例

 さらに、オプションにチェックすることで、地下鉄、地上路線、バスや徒歩の早さなどでのアレンジが可能です。(今年の病院当直をしっかりとこなし)ゴールデン・ウイーク後に再訪する憧れを抱いて、2011年5月10日(火)に開園時間に合わせて、同じホテルを発つ場合を検索(図)してみた。
 図の右側にあるMaps「Russel Square Underground Station」のアイコンをクリックすると、地図が出ます。出た地図の右下にある[Wizard]をクリックすると、出発駅、乗換駅と到着駅に至る路線に沿って、電車が移動します。かつ、各々の駅の到着時刻等も示され、まるで、擬似旅行をしているかのごとくです。このサービスは日本には未だ無いはずです。
 途中、グリーンパークとハイドパークの間、バッキンガム宮殿の北方至近を走り、乗換駅(Hammersmith)では一時動きが停まり、文字情報がしばし現れた後、再度、動き出して、目的のKew Garden Underground Stationに到着です。
 というわけで、昔の大版時刻表での机上旅行が、ネットの動的なきめ細かい情報へと変化しました。これも自身の趣味の範疇に入りましょうが、事前にシミュレーションを楽しんだ上で、本番の自由自在な旅行にも活かせています。あなたもいかがですか?

#1:https://www.kew.org/ 
#2:
https://tfl.gov.uk/ 
#3:http://www.transportdirect.info/ 

鳥取県東部医師会報 No.392 随筆[続 ロンドン紀行:世界遺産 キューガーデン]2010年3月号 p.50-54 掲載の原稿

2020/8/28 up

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