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≪随筆≫ ロンドン紀行 3:リージェンツ・パーク

 シャーロック・ホームズが初恋の相手とかで、今尚愛していると、妻は話す。
 夫婦で初めてロンドンに出かけ、自由にアレンジする旅行に慣れたためか、「ホームズのベーカー街に行きたい」とリクエストがあった。この誘因になったのが、妻の失意!だった。

ベーカー街に立つホームズ像(左)。地下鉄駅ベーカー街界隈(右)
 

 小生の海外旅行は、第1回鳥取市勤労青年海外研修団員として、1990年10月29日にシベリアを飛び、ロンドンに着いたことが最初である。
 当時、鳥取療育園の園長をも担っていたが、8月下旬の日曜日、組合交渉の回答を「西欧の動向は施設福祉から地域福祉へ」云々とワープロ機で書いていた小生の様子を見て、妻がゴソゴソし始めた。「あった!」と、小生に見せたのが、鳥取市報であり、同企画の団員募集の記事であった。当時の中央病院長岩宮 緑 先生の推薦もあり、初の海外旅行・渡欧が実現したのでした。

 鳥取市の企画1回目で単独行動が許されていなかったが、小生の誘いが奏功し、仲間や団長と共に、すっかり暗くなった時間帯に、シャーロック・ホームズ・パブに出かけることが出来た。ホームズ・ファンである妻の名代として臨んだ思いや、同パブでの立ち飲みビールは白人の若者たちで賑わう雰囲気の良さもあり、とても印象深い。
 さらに、1997年11月に全国自治体病院協議会の西欧医療施設視察団の一員としてロンドンを再訪した際も、中華街での夕食後、賛同する仲間を引き連れて、勘を活かして、徒歩で移動しシャーロック・ホームズ・パブで飲んだ。小生にとっては思い出深いパブなのです。

 小生の還暦記念で訪れた際、妻にとっては初めてのロンドンであって、ホームズ・パブに誘った。ところが、何と、パブに掲げてある看板のパイプを咥えたホームズの禿頭の絵を見て、妻は「爺さんだ!」と、小生の思い出のパブを拒絶したのでした。聞けば、「私のホームズは若くてニヒルだ!」」と失意の発言。これには参った。

リージェンツ・パーク(上)。公園内で子どもたちとの出会い(下)
 

 このこともあり、妻の願いで、帰国する日に予定を変更し、急遽ベーカー街へ行くことにしたのです。
 自身は少なくとも欧州旅行においては“晴れ男”で、この日の天気予報は曇・雨で風が強いとの予報だった。が、朝起きると、東側の窓からは快晴の青空が広がっていた。窓から、南を覗き見ると、何と、厚い雲が覆っていた。そう、前線が南に降りた後で、快晴になったのでした。

 地下鉄ベーカー街駅の地階壁面には一目でホームズと分かるタイルが貼られた場所があり、かつ、外に出ると期待通りの大きなホームズ像が迎えてくれていたこともあって、妻は納得至極!
 まず、駅至近にあるリージェンツ・パークを巡ることにし、ホームズの住まい“ベーカー街221b”は最後にと決めた。
 公園を巡るのには、何といっても天候に恵まれることであり、結局は、5日間を通して妻の希望を優先し得る好天が続いた。(天候が悪ければ、小生の関心が高いナショナル・ギャラリーや初体験となるテート・ギャラリー等に入り込もうと内心楽しみにしていたが・・・。)

園内のカフェで休憩(上)。クィーン・メアリー・ガーデン(下)
 

 リージェンツ・パークは、まるで絵葉書のような風景が続く。園内の至るところにアングルを向けても、それなりの写真が撮れる。
 広大なパーク内には、インナー・サークルがあって、この中にバラ園で名高いクィーン・メアリー・ガーデンがあり、ロンドン市内でもっとも美しい場所の一つとの案内もある。
 木々の多い静かな公園内を時計回りにゆっくりと歩いた。多種多様な水鳥たちが憩う池(Boating Lake)は、前線通過の余波で若干のさざ波があり、流石にボート遊び(Boating)はしなかったが、またの機会には・・・と念願したくなる環境であった。
 2時間ほど巡った後、ベーカー街221b♪を訪れた。ホームズ・ファンによるゆかりの品々が納められている“偽物”博物館であり、6ポンド払って中に入るには至らなかったが・・・。(ン?ホームズ・ファンには“本物”・聖地か!)
 ベーカー街から二階建バスに乗った。結局、5日間の滞在中、二階席の最前列に3回座った。観光客は専用のバスを用いており、ロンドン市民は混雑していなければわざわざ二階に上がらないのでしょうね。ロンドン中心部の路線は分かり易いので、足を休める観点からも嬉しい“観光バス”となります。
 オクスフォードやリージェンツ等の繁華街を車窓見物しつつ、ピカデリー・サーカスヘ移動した。次いで、「30分で良いから」と、小生の願いで、かつ、妻に体験させたく、ナショナル・ギャラリーに立ち寄った。美術館としての建物・環境の素晴らしさを改めて体感しつつ、世界遺産的名画の並ぶ展示室を巡った。係員に確認して、2点あるフェルメールの部屋を訪ねてオワリ!
 勿論、またの機会にはしっかりと時間を確保してとの念願を抱きつつ・・・。(印象派のお宝作品群は、中央部分にある狭い螺旋階段を降りて、奥まった場所にあるのですが、今回は行く時間がありませんでした。またの機会にとの思いを残して去りました。)

インナー・サークル内、整備された公園(上)。冬に備えて活動するリスとの接近(下)
 

 この日の朝、宿泊ホテル(ロイヤル・ナショナル)に荷物を預けベーカー街に向かったが、旅行の最後も妻の願いを適えるべく、ホテル至近にある大英博物館で約2時間を過ごした。
 大英博物館を出て、ホテルの間にあるラッセル・スクウェアをゆっくり移動した。ロンドンでは規模が小さいが、日本では立派な規模の公園であり、周囲は大樹が茂り、中央に噴水、通路に沿いには、イングリッシュ・ガーデンが設けられ、色彩豊かに花々が咲いていた。ロンドン5連泊、最後の憩いのひと時となった。
 17時前に地下鉄でヒースロー空港に移動し、21時発ソウル行きのアシアナ航空機で帰国の途に着いた。
 機中、いつかまたロンドンを再訪し、演奏会等や美術館を満喫することを祈念しつつ、窓からの景色を眺めていた・・・。今回の機中からは往復とも、バイカル湖を見下ろせたことは幸いだった。(~欧州との往復は逆光にならない往路K・L席、復路A席を求め、窓からの景色を楽しみ続けている小生です。インチョン空港からロンドンへの飛行は今回が初体験であり、バイカル湖の南部上空を、イルクーツク市街南方を飛行するルートでした。)次の機会は・・・?
 ロンドンを点描する形での紀行文を、本会報随筆欄に3回掲載していただけました。行程の詳細、多くの写真は、智頭病院のホームページ[写真館]にあります。ご高覧いただければ幸いです。
追記)今回の旅費は、鳥取ならばワシントンホテルクラスの大型ホテル5連泊(朝食付)とインチョン空港経由関空発着の往復券代で 108,300円(燃料費、空港使用料、諸税を含めて、128,790円)でした。航空会社はアシアナ航空で、単に格安企画というだけではなく、インチョンとヒースロー空港間を機内空間がボーイングの中ではもっとも広いB777が飛んでいたことも選択した理由でした。良質な格安企画を探すのも趣味の一環?!

 

♪:シャーロキアンにはほど遠い小生だが、ベーカー街221Bが当時存在していなかったことは承知している。いわば、架空の番地だが、しかし!現在、シャーロック・ホームズ博物館の住所は、221B Baker Street, London NW1 6XE なのです。そう、後年、街路の合併等で、221b に博物館を格式高いシャーロキアンが造ったということでしょう。
 小生の好きな英国発のネット地図(2009年当時は「Multimap」、現在は「bing」)の検索欄に「221b Baker Street, London NW1 6XE」を入れてクリックしてみてください。さらに、「地図」から「概観図」を選択し、ご覧ください。俯瞰写真が展開します。マーカーがある場所がホームズ博物館で、右上方(北東方向)にリージェンツ・パークがあります。かつ、右回転矢印で90度時計回りに展開し、「+」で接近すると、ベーカー街にあるホームズ博物館の正面が俯瞰できます。
 また、リージェンツ・パークでは、一目でインナーサークルが分かります。この中にクィーン・メアリー・ガーデンや蜂の巣状の屋根からなるカフェがあります。関心のある方は、探してみてください。
蛇足)日本ではシャーロキアン (Sherlockian) と称すが、本場イギリスではホームジアン (Holmesian) だそうナ。前者が呼び易いナァ・・・。

 

鳥取県東部医師会報 No.393 随筆[ロンドン紀行 3:リージェンツ・パーク]2010年5月号 p.62-65 掲載の原稿

2020/9/2 up

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