【公園・庭園 2】 〔小児科医の書庫〕
≪随筆≫ パリに魅せられて(6)ラパン・アジルで歌う
至近のメトロ12号線 Lamarck-Caulaincourt 駅界隈から見上げたラパン・アジル方面(上)、階段の多いモンマルトル独特の風景(下)
◇ シャンソンは、「愛の讃歌」・「バラ色の人生」・「枯葉」や「雪が降る」を聴いて知った程度で、物悲しさもあるフランス流演歌といったイメージを抱いていた。
大学に入り、クラシック音楽に傾倒していったが、シャンソンへの関心が高まった要因に、映画〔愛と哀しみのボレロ〕がある。1981年に封切られたクロード・ルルーシュ監督による本フランス映画は、フランシス・レイとミシェル・ルグランの楽曲に魅せられ、モーリス・ベジャール振付の故ジョルジュ・ドンによる冒頭とクライマックスで象徴的に踊られるボレロに鮮烈な印象を抱いた。また、艶やかなキャバレー・シーンがあり、現在のムーラン・ルージュを彷彿させる。さらに、エディット・ピアフをモデルにしたという女性が歌うシャンソンなども至る所に散りばめられ、心を惹かれた。
ラパン・アジル(上)の向かいにはパリ市内唯一のワイン・ヤードがある(下)
◇ 本稿を記す際に、改めて自身が保有している本映画のDVD#を見たが、今尚新鮮さを失わない。とくに、クライマックスで、実話に基づき、ユニセフが主催したチャリティーで、エッフェル塔を望むシャイヨー宮を舞台に、ヘルベルト・フォン・カラヤ(俳優)ンが指揮をして、ジョルジュ・ドンがボレロを踊り、ジェラルディン・チャップリンなどが歌うシーンには改めて感動を覚えた。(#:2013年6月、思いがけず、WOWWOW が放送し驚いた。調べたら、Blu-ray 版を加え、2014年3月30日に再販されたと知った。)
赤色照明の店内 : ピアニストに合わせ、次々と歌手が歌う。正面は一目でピカソ作分かる絵(上)。ピアニストも随時交代(左下)。手回しオルガンで歌う、給仕を兼ねる彼(右下)
◇ 1997年11月、全自病協主催の西欧医療施設視察団員としてパリを訪れた際、自由に出来た日の夜に「シャンソニエ ラパン・アジルへ行く」との意思表示をしたら、同室の彼と元気な彼女と淑女の計4人での行動が決まった。夕食も一任され、選択したのが、古くから庶民が暮らしてきたマレ地区にある、民間ではパリ最古1407年であるとして市長の認定を受けている建物で、2階に地元の集会所があり、1階にあるレストラン♪。ホテルのコンシェルジェに託して予約した。開店は19時半であり、よって、ラパン・アジルの予約を22時半とした。
◇ ホテルから地下鉄で移動し、ライトアップされたパリ市庁舎を仰ぎ見て、近代美術館が入る、工事現場とも見間違いそうになる、カラフルで今尚斬新なポンピドーセンター横を通り、小さなレストランに着いた。店のメニュー・ボードに英語が無く、小生は勿論、店員の彼の英語も拙く、困惑至極だった。ボトルワインの選択が小生に委ねられ、選び、乾杯し、パンも出て、口に入れつつ、歓談していた。
◇ フランス語のみのメニュー一覧を示し、注文を取ろうとする彼を前にして、仲間は小生に「とにかく任せた!」と。で、メモ紙に全額で一人200フラン(≒4,400円/当時1フラン21-22円)と書いて、彼の理解を得た。4人が選択したクリーム・スープと前菜が出た後、メインの注文となり、彼は「北海から入った新鮮なサーモンのムニエル、ビーフステーキとラム・シチューの3種類から選べ!」と。サーモン、ビーフシチューを各2人が選択したが、何故か彼が引き下がらない。どうやら「自前の牧場で育てたラムで、ラム・シチューは400年の伝統があり、とにかくオススメだ」と言う。ならばと、元気な彼女と小生がビーフステーキをラム・シチューに変えた。
臭みは皆無で、舌と上顎で崩れるほどで、とろけるように旨かった! 焼肉のイメージしかなかったラムに対する概念が崩れた。
♪:本稿を書くに際して15年ぶりに調べた Auberge Nicolas Flamel ~ オーベルジュは宿、ニコラ・フラメルは当時著名な錬金術師で財を成し、教会・病院へ惜しみなく支援し、今に残る建物に貧しい人を済ませた由で、この1階が彼の名を冠したレストラン オーベルジュ・ニコラ・フラメル。映画[ハリー・ポッター]でハリーたちが学ぶボグワーツ魔法魔術学校内に隠されている“賢者の石”を作った人物が実在の錬金術師かつ出版業者、多数の錬金術書の著者でもある実在のニコラ・フラメル(1330-1418年)と分かった。
ソロで歌う店長(上)、ノリが良かった学生(中)壁面は4面に絵が掲げられている。パンフレットにはユトリロが描いた店、店名となった跳ねウサギも描かれている。キャバレーの修飾語もあるが、食事は出ず、小さな“歌酒場”のイメージ(下)
◇ モンマルトルにある老舗シャンソニエのラパン・アジル(Au Lapin Agile)には、ほぼ予約時刻に到着。広くない店内は混雑しておらず、案内されたコーナーに座して、乾杯した。環境に慣れてくると、高齢の日本人男性が近くにおられるのに気づき、どちらからともなく会話した。小生が医師であると分かり「日野原重明先生を知っているか?」と。その方は、何と、聖路加国際病院の人間ドック第一号利用者だと。パリには趣味の絵を描きに来て3週間になるが、今宵が最後で、明日は帰国。「カミサンに離縁されても困る」云々。さらに「自分はラパン・アジルが好きで、毎晩のように来ている」とも。中年の小太りのおばちゃんがアコーディオンを自ら演奏し、物悲しく歌うのを聴き、しゃれたシャンソンとは異なる叙情性を感じて、尋ねると「フォーク・シャンソン」だ と。映画〔愛と哀しみのボレロ〕にも、アコーディオンで哀しみ・懐かしさを感じる曲があったのを思い起こしつつ尋ねた次第だった。
◇ さらに、「歌に合わせて、興じれば、手拍子や共に歌っても良い」とシャンソニエでの楽しみ方についてのアドヴァイスもいただいた。で、歌手が交代するわずかの時間にピアノストが坂本 九 の楽曲を奏ではじめた。日本人が居ると知ってのサービスと心得たが、一方、彼に「歌って良いか?」と尋ねたら、「おお、どうぞ、歌いたまえ!」との返答。ベートーベンの交響曲第9番の合唱で鍛えたバリトンで、声量を上げて歌った。
居合わせたガイジンさんたちからも拍手や「ブラボー」の発声! 彼は「長年ラパン・アジルに通い詰めたが、ここまで堂々としっかり歌った日本人は初めてだ!良く歌ってくれた」との賛辞をいただいた。店を出て撮った記念写真は0:24。タクシーに4人が乗り、行き先の宿泊ホテルカードを示し、無事到着。懐かしい・・・。
23時を過ぎた深夜帯でも賑わうテルトル広場(上)、飲食・歓談する人が少なくないカフェ(下)
◇ 今回(2012年10月)、15年ぶりに、懐かしのラパン・アジルに初めて二人で、それも彼女の還暦記念誕生日の夜に伴うことにした。座席の予約は、15年前にホテルのコンシェルジェに託したのと異なり、メールでたどたどしい英文を書いて、出国前に済ませた。15年前の記念の組写真を添付し、われわれの記念日であることも書き添えて・・・。
◇ パリ7連泊の滞在最終日・金曜日の夜に訪れたが、開店が21時なので、一旦ホテルに戻り休息後の再出発だった。ホテルはパリ市の南方、メトロ6号線 Dupleix (デュプレックス)駅前にあるメルキュール・パリトゥールエッフェル・グルネル(パリ・グルネル通りに面したエッフェル塔に近いホテル)だったので、メトロを乗り継ぎ、12号線の至近駅をめざした。ここは、1990年に初めてパリを訪れた際と1997年にもモンマルトルを訪ねた際に降りた駅で、ラパン・アジルへは坂・階段を上がり、徒歩5分弱である。
◇ パリの公共交通機関(www.ratp.fr/)を調べ、ホテル出発時刻を決めた。予定通り、12号線に乗り、Lamarck–Caulaincourt(ラマルク-コランクール)駅をめざしたが、車内の路線図を見ながら、その発音がラマッ・クレコーでカタカナ表記では全く通じない云々と話している頃、某駅に停車したままで動かないのに気づいた。珍しくフランス語の車内アナウンスがあり、乗客が次々とホームに出て行った。自身はアナウンスが全く分からないので無視していたが、 近くにいたビジネスマンと思しきガイジンさんが英語で話しかけてきて、われわれの行き先「ラマッ・クレコー」を確認した後、英語で状況を話してくれた。が、「トラブル」・「タクシー」・「サン・ラザール」や、どうやら次の駅で運行が終了し、目的地には行けず、タクシーなら今降りた方が良いといった内容が何とか理解できた。様子を伺っていた他の乗客も、ここで下車すべきだと推している気配を感じた。
◇ 地下鉄が出発しそうな雰囲気を感じ、決断して、下車し、地上に出た。想定外のサン・ラザール駅横でタクシーを拾った。が、行先を告げる課題が!「ラパン・アジル」が通じないので、モンマルトルの象徴「サクレ・クール」を告げると、理解してくれた。モンマルトルの丘に登る路地をタクシーは飛ばす!異文化の違いを、彼女に初体感研修させることになった次第。
ライトアップされたサクレ・クール寺院(上)。坂を降りたお土産物屋さん界隈も賑わいを残していた(下・撮影23時26分)
◇ やがて赤信号で停止した見憶えのある場所に着いた。工事のために迂回しようとしたタクシードライバーにここで良いと告げ、下車した。そこはメトロのラマッ・クレコー駅至近で、既に今回歩いた場所。メトロのトラブルを何とか回避して、ラパン・アジルに到着した。語学に疎い輩の個人旅行ならではの思い出・・・。
◇ 15年前同様、相変わらず赤色調で薄暗い店内、歌手陣が座る隣の大きめなテーブルに案内され、地元学生たちと合席となった。何とか単純な(彼女に言わせれば幼児語的)英会話をしつつ、彼らと乾杯!
◇ 壁面には多くの絵が掲げられている。目を引く大きな絵は一目でパブロ・ピカソ作と分かる。「At the Lapin Agile」なる本作のオリジナルはメトロポリタン美術館にあり、現在はレプリカが掲げられている#。ユトリロの絵などが全壁面に掲げられている。ラパン・アジルのポスターやパンフレットに用いられている冬季に同建物を描いている絵もユトリロ作であり、ファンにとっては嬉しい限りである。
(#:ニューヨーク・メトロポリタン美術館のHPで「At the Lapin Agile」を検索すると1905年にパブロ・ピカソが描いた本作を見ることができます。)
◇ ピカソやユトリロなど、今となれば著名な歴史的画家たちが売れない貧乏な頃、絵を描いて飲み代に換えたことで、今日、壁面を埋め尽くす絵に囲まれる店になっている。こうした時代背景、歴史も小生には嬉しい限りのラパン・アジルです。
◇ 歌手が次々と歌い、合唱する中で、同じテーブルの学生たちが賑やかく歌い合わせ、小生もハミングし、ハーモニーを付けた。徐々に声量を上げ、ロンド風の掛け合いも成立し、歌手陣や他のお客からも注目され、拍手で交歓するに至った。やがて、店長が近くに来て、彼女と小生を立たせた。事前にメールで通知していたので、妻が還暦記念の誕生日であることを紹介し、お客の拍手を得た後、促されて、皆で乾杯となった。かつ、思いがけず記念品を渡してくれた。それはラパン・アジルのポスターで何やら手書きメッセージが書かれていた。帰国後、合うポスターフレームを画廊で買い、壁面を飾っているが、手書き文面は達筆のため(?) 読解し得ないままである。どなたか、読んでいただけませんか?
◇ ラパン・アジルは、妻の体力面の制約から、これからが佳境という23時過ぎに辞した。地下鉄ラマッ・クレコー駅に戻らず、モンマルトルの丘を歩き、ライトアップされたサクレ・クール寺院を眺めつつ、ケーブルカーで降りた。お土産店や飲食店が並ぶ界隈は23時半近くでも賑わっていた。メトロを乗り継いでホテルに帰ったが、自室窓から見えるエッフェル塔は、なおライトアップされていた。パリの夜は遅い・・・。
鳥取県東部医師会報 No.410 随筆[パリに魅せられて(4)オペラ座ガルニエ宮に驚嘆]2014年3月号 p.48-51 掲載の原稿
「クラシック音楽に傾倒している小生だが、シャンソンへの関心も高い。が、残念ながら、“生の場”が鳥取にはないし、都会に出かけるとしてもオペラ文演奏会などクラシック音楽が優先であり、機会がない。が、パリ、モンマルトルの丘、老舗シャンソニエ[ラパン・アジル]の連想が成立する。15年ぶりに再訪したら、マスターが覚えておられ、またしても高らかに歌ってシマッタ! 」と、急患診療所で書いた。
2020/9/9 up